2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

詩話

「口笛が流れる港町」の発端のアキラと錠のからみは阿蘇が舞台。本編は宮崎の山間部にある鉱山が舞台。浅丘ルリ子はその後継ぎ娘。一切、港町は出てこない。口笛も聞こえてこない。 佐渡を舞台の渡り鳥シリーズ「渡り鳥いつまた帰る」では、こまどり姉妹が「浅…

福島口駅

ニュージーランドの鉄道は狭軌。 佐賀県内の鉄道の駅(九州旅客鉄道、松浦鉄道、甘木鉄道)の各駅間の営業キロ数(最短距離)を見ると、鹿児島線けやき台駅と松浦鉄道福島口駅間が一番長く、ちょうど100kmである。 「週刊文春」2001年3月22日号…

長崎

「悲しい酒」を歌ったときの美空ひばりは29歳。「小指の思い出」の伊東ゆかりは19歳。 現存する天守閣。犬山城、丸岡城、松本城、彦根城、松江城、姫路城、丸亀城、宇和島城、高梁城、高知城、弘前城、松山城。うち国宝は犬山城、松本城、彦根城、姫路城。…

父ちゃん今日も帰らんき

林正登著「炭坑(ヤマ)の子ども・学校史」に掲載されている筑豊のエネルギー革命時にはやったという炭坑の子守唄(俗称ザリガニの歌) (作詞作曲森中鎮雄) 父ちゃん今日も帰らんき 母ちゃん廃坑(やま)にボタひろい 秀坊のおもりはうちばっかり ふみちゃ…

沢村忠

沢村忠の戦績、241戦232勝228KO5敗4分け。 明治20年刊の本富安四郎「地方生指針」に、「東京府下ニ居留スル者ノ中ニ四大種族アリ。書生、官員、車夫、兵隊是ナリ。(中略)東京ノ繁栄ハ実ニ此四種族ノ為ニ成立ス者ト云フモ不可ナルベク……」と…

何者

「鉄道ジャーナル」481号によると、隅田川駅に到着するコンテナ貨物の47パーセントは紙・パルプ製品とのことである。新聞雑誌用紙とのこと。言われてみればさもありなんである。 明治5年10月2日太政官布告第295号 「娼妓・芸妓等年季奉公人一切…

京成荒川駅

2001年10月の電化と同時に博多直方間で運行される特急の愛称は「かいおう」。魁皇引退後はどうする? 岡山から多度津までの鉄道距離は博多から佐賀とほぼ同じ。 農業経営基盤強化促進法による利用権設定は行政による嘱託登記の対象となっていない。趣旨…

タイガーマスク

「菊之露」30度1.8リットルを飲み始める。深まる秋の夜にくつろぐときには泡盛はうまい。春も夏も冬も泡盛はうまい。 佐山サトルは2001年の参議院議員選挙に通称タイガーマスクで出馬する予定だったが、通称使用は認められなかったらしい。しかし、…

ずさんな需要予測で県民にのしかかる赤字負担

「週刊金曜日」2001年5月18日号掲載の川口満氏「ずさんな需要予測で県民にのしかかる赤字負担」によると、1998年度の旅客数は、福岡空港15,608,193人、佐賀空港283,530人、秋田空港1,265,364人、大館能代空港112,…

八道湾胡同

魯迅は「阿Q正伝」を北京八道湾胡同に住んでいたときに執筆した。八道湾胡同は西城区新街口交差点の西にある。 台湾で行われていた台湾語差別政策は1993年に放棄された。

大日本を売出し

本日大売出→出売大日本→大日本を売出し ライブドアは「活力門」と訳すらしい。ライブドア=活力門=huolimen=ホリエモンということらしい。 2006年1月26日の「テレビ中国語会話」に出ていた香港出身の張柏芝は普通話を普通話といっている。 「米欧回…

南の花嫁さん

神代真奈美氏は教員の経験があるらしい。本日の唐津商工会議所会頭へのインタビュー番組で本人が言っていた。古賀政男のヒット曲「南の花嫁さん」の原曲は「彩雲追月」である。 「北京ヴァイオリン」の中国語の題名は「和你在一起」。「北京ヴァイオリン」で…

九六銭

聞道、聞説→きくならく 見説→いうならく 向、欲、垂→なんなんとす 高浪垂翻屋→高浪、屋をくつがえすになんなんとす 小島毅氏「中国思想と宗教の奔流」(講談社 2005年)によると、北宋では、東京開封府(開封)、西京河南府(洛陽)、南京応天府(宋州)…

徐福伝説

台北の太平洋そごうのエレベーターで、10階と言ったのを11階と聞き間違えられたことがある。エレベーターガールは巻き舌で返答した。 王勇氏「中国史の中の日本」(「日本にとって中国とは何か」講談社 2005年)に中国の史書の中での徐福伝説がまと…

琉球

久しぶりに「どなん」43度を飲み始める。強いアルコールが刺激的だ。泡盛はうまい。 2006年8月の天橋では、碧眼のエキゾチックな顔立ちの人々が屋台で西域風の商品を売っていた。再開発でほこりっぽい界隈、各地から人が集まる吹き溜まりだった天橋の…

萬華

台北の地下鉄(捷運)は4つの言葉で放送される。閩南語で「ありがとう」は「感謝」というのだろうか。何度も同じ発音を聞いた。 萬華はもと艋舺と表記したものを、日本統治時代に艋舺の閩南語読みに日本語の音で当て字したものという。萬華には現在も艋舺公…

黄河

黄河は、甘粛省の蘭州、寧夏回族自治区の銀川、河南省の鄭州、山東省の済南の4つの省都を流れる。 毛沢東には「万寿無疆」、林彪には「永遠健康」と叫ばれた。 清朝の銅銭の原料は雲南銅の開発までは長崎貿易で輸入される日本産の銅に依存していた。

夏の江南

2006年8月に行った人民大会堂では、ロビーにある程度の人数がそろった後、係員が引率するという段取りだった。 瀋陽駅と元のソウル駅と東京駅は赤レンガのよく似た建物である。できたのは、瀋陽駅が1910年、ソウル駅が1925年、東京駅が1914…

武漢黄鶴楼は武昌にある

加藤周一氏は、道元は主著を漢文で書かなかった唯一の偉い坊さんである。その理由は、一つは、道元が長く中国にいて、中国語は外国語で日本語ほどはできないということがわかるほど中国語がわかっていたからであり、もう一つは中国が仏教に関する圧倒的な先…

西湖の月

「海舟語録」(講談社学術文庫)所収の明治30年11月9日の談話。 「ナニ、支那が外国人に取られるといふのカエ。誰が取るエ。支那人は、他に取られる人民ではないよ。香港でも、御覧ナ、実権は、みな支那人が持つてるジヤアないか。鶏卵でも豆腐の豆でも…

ザビエル

ザビエルは日本を去った後、1552年に中国に入ろうとしたがかなわず、年末に広東沖で死去した。 1602年に北京で公刊された「坤輿万国全図」がはじめての右側にアメリカ大陸、左側にユーラシア大陸が書かれた世界地図である。つまり中国を世界の中心に…

雖成少許

文久2年に幕府が上海に派遣した千歳丸には高杉晋作や五代友厚、中牟田倉之助も乗船した。高杉晋作の上海の記録は「遊清五録」といい、「日本近代思想大系 開国」に所収されている。高杉晋作は、上海に着いた夜に太平天国軍(長毛賊)と清軍(支那人)が戦う…

上海の横浜橋は日本の横浜とは関係がない

「浜」は上海では小河のこと。上海の別称「滬」はこの地域の漁民が、「滬」と呼ばれる水中にさした、竹で編んだ仕掛け(潮が満ちてくると、滬は潮の勢いで倒れ、潮が引くときは滬が立って魚が出られなくなる)を使い、このため、この一帯を「滬瀆」というよ…

台湾の鉄道は狭軌である

「鉄道ジャーナル」461号に集寧南と通遼を結ぶ蒸気機関車が牽引する、6051/6054次列車の記事が掲載されている。この列車を延々と撮影した番組(ナレーション等なし)をNHKで見たことがある。この記事によると、集通鉄路の開通は1995年で…

歳月不待人

北京北駅から八達嶺駅まで62キロ、2時間半程度かかる。 「盛年不重来 一日難再晨 及時当勉励 歳月不待人」は陶淵明「雑詩」第一首の最後の四句。若い日は2度と来ない、時をのがさず無理してでも遊べとの意。陶淵明は4世紀から5世紀、六朝時代の人であ…

本郷藤村

8月29日に天安門広場で毛沢東の遺体を見た。毛沢東は意外に小さい印象であった。記念館では入口で献花用の白い花を1元、記念館のリーフレットを3元で売っており、出口で各種みやげ物や飲み物を売っている。 魯迅は本郷藤村の羊羹が好きだった。 夏目漱…

内地

日本統治時代の満州や蒙古では日本人の居留地以外の土地を「内地」と称していた。 兵馬俑博物館入口の「秦始皇兵馬俑博物館」という額は葉剣英の筆である。 人民が勝手に龍の紋様を用いてはならぬという禁令がはじめて発布されたのは北宋のときという。この…

長安街

乾隆帝は雍正帝の第4子である。 上海にも長安の名をつけた通りが上海駅の近くにある。東単から西単までの北京の長安街と比べるとずっとしょぼい通りである。

北京の地下鉄の駅にはかつてホームにあった売店

「菊之露」30度1.8リットルを飲み始める。久しぶりに泡盛を飲む。泡盛はやっぱりうまい。 2006年8月の北京の地下鉄の駅にはかつてホームにあった売店がなくなっており、駅員ではなく、ガードマンがホームに立っていた。 http://j.people.com.cn/20…

蘇州北塔

芥川龍之介は蘇州北塔に行ったことがある。「江南遊記」に、登っていく手すりの手垢の名残がべとり冷たく、塔の上には支那料理でもありそうな心もちがしたこと、塔の頂上から見る蘇州の市街は、黒い瓦屋根の間に鮮やかな白壁を組み込んだなり、思ったより広…