西湖の月

「海舟語録」(講談社学術文庫)所収の明治30年11月9日の談話。
「ナニ、支那が外国人に取られるといふのカエ。誰が取るエ。支那人は、他に取られる人民ではないよ。香港でも、御覧ナ、実権は、みな支那人が持つてるジヤアないか。鶏卵でも豆腐の豆でも、南京米でも、みな支那人から貰つてるジヤアないか。それで支那人は野蛮だと言ふやつがあるカエ。ナニが文明ダエ。」


谷崎潤一郎「西湖の月」には、中国の汽車にはベンチとベンチとの間にテーブルを据えてあるのが多く、テーブルをはさんで6人が向かい合っているとの記述がある。今でもそうである。「西湖の月」は1919年の発表、谷崎潤一郎は1918年に中国を訪れている。


プーケットには巨大な亀甲墓がある。墓は極彩色に塗られていた。プーケットは錫採掘の労働者として移住があった関係で、タイでも中国系の住民の割合が高いところらしい。