ザビエル

ザビエルは日本を去った後、1552年に中国に入ろうとしたがかなわず、年末に広東沖で死去した。


1602年に北京で公刊された「坤輿万国全図」がはじめての右側にアメリカ大陸、左側にユーラシア大陸が書かれた世界地図である。つまり中国を世界の中心に配している。そしてこれが日本に伝わり現在に至っている。


明治8年2月3日に第1便が上海に向け横浜を出発した郵便汽船三菱会社の船が日本で初めての海外定期航路である。


南京の中華民国大総統府は、洪秀全の天王府西花園があったところである。 


昭和9年9月発行の帝国書院「増訂改版新選詳図世界之部」では支那本部という区分がある。これには四川省の西部や青海省は含まれていない。ダライ・ラマ14世は青海省平安県の出身である。


2006年8月の北京空港では、ソウルは「首爾」と表記されていた。