田代領生蝋座銀会所関係文書

嘉永2年8月に鍋島直正の嫡子直大は種痘を受けた。「野田家日記」(西日本文化協会 1974年)に、「去冬(嘉永2年)以來當春夏懸て、一統植疱瘡はやる、至而輕安也、此後ハ皆此通リと申事」という記述がある。


田代領では安政2年に産物主法方が設置され、櫨実の領外への販売が禁止され、代官所による専売制が目論まれた。しかし、万延元年に廃止された。一方、佐賀藩では万延元年に蝋と櫨実の専売制が器械取入方により行われることとなった。鳥栖市史資料編第四集「近世鳥栖商業資料」所収の「犬丸家文書 嘉永五年日記」及び「広瀬家文書 田代領生蝋座銀会所関係文書」による。