諸事御済派

佐賀藩武雄領科人帳」(秀村選三編『九州史料落穂集』第9冊 1995年)は、その内題を「諸事御済派」という。そして本文に「右條ゝニ付御済派之通、以御書物被仰出候事」などの記述がある。これは延宝3年から元禄7年までの刑罰の記録である。


対馬藩田代代官所の日記の抜書き「日記抜書」(「鳥栖市史」資料編第一集)の天明6年5月5日の条に、宮浦西村で紙を漉く者がおり、品質もよく、これまで紙漉きがなかったため、永続するよう庄屋に留意するようにするとの記述がある。


鍋島直正の叔母が中院通繁に嫁いでいる。