隠形眼鏡兒

隠形眼鏡兒 コンタクトレンズ


漢奴委国王の金印は文書に直接押印するものではなく、文書の封をする封泥の上に押すためのものであるとのこと。


漢字を字形によって分類排列し、それぞれの文字が作られたときの最初の意味を考察した、中国最初の文字学書が「説文解字」。西暦100年に許慎(字淑重)が著した。「説文解字」では、小篆(始皇帝の時代に李斯が作った文字)を基に文字の本義を究明する。


「東」という文字は、両端が筒状になった袋に物を入れ、両端をしばった「槖」(たく)の形であるというのが徐仲叙が甲骨文字(紀元前1300年あたりから使われ19世紀末に発見された古代文字)の分析により主張した説。重い袋を動かすことから、万物を眠りから動かし目覚めさせる太陽の出る方を意味するようになったという。「しにか」2001年12月号による。


皇太子の子の名は孟子からとったという。西郷南州の「敬天愛人」と同じ出典。


おんどりは長江の北側では公鶏、南側では鶏公。北側はアルタイ諸語と同じで南側は南アジア諸語と同じ。かつて、ここに東アジアの南北の言語文化界があった可能性があるという。