七大古都

竹内実氏「中国歴史の旅」によると、中国古都学会なるものが、1988年に七大古都というものを定めたそうである。
北京 金 元 明 清 中華人民共和国
西安 西周 秦 前漢 北朝 隋 唐
洛陽 東周 後漢 魏 晋 北魏 隋 唐 後梁 後唐
開封 五代 北宋 
安陽 商 
南京 呉 東晋 南朝 明 中華民国
杭州 南宋 


元の時代の「折津志」において、北京の道路は大街の幅の半分が小街、その半分が胡同とされた。胡同は6歩(9.24メートル)、小街は12歩、大街は24歩。


勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生別離足
この于武陵の五言絶句の井伏鱒二による日本語訳が、コノサカズキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトエモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ


広州東―深圳間139kmを最速列車は55分で走る。表定速度は152km/hとなる。博多―諫早間129kmを特急かもめ号は、概ね1時間半かけて走る。


「上海Walker」にアミン(でよいのか?ウガンダの大統領を思い出す。)が出ていて、上海の老人ホームで「夜来香」を歌って万雷の拍手を浴びていた。「夜来香」が日本支配時代を経験した中国の古老にあんなに受けていたのが意外であった。認識不足であった。
なお、アミンは、「也愛着夜鶯啼声」と歌っていたが、テレサ・テンのレコードなどは「也愛着夜鶯歌唱」と歌っているようである。どっちがオリジナルなのか?


北京上海間は1460kmある。2002年現在、これが特快で14時間かかっているのに対し、東京長崎間1329kmを特急さくら号は、18時3分に出発し、13時5分に到着、すなわち19時間2分かかって走っていた。表定速度は特快が104km/hに対し、特急が70km/hと圧倒的に中国の特快が速い。
また、この特快の表定速度104km/hというのは、日本の在来線の最速特急に匹敵するスピードであり、中国の鉄道の高速化が相当に進んでいるのが見受けられる。


李原・陳麗著「生活在日本」(四川大学出版社)という本が1998年に出ている。著者は日本への留学経験者のようである。この本の中で日本人特有の手の動作として、万歳三唱、腕や指で表す○と×、十までの数え方、手招き及び自分を人差し指で指す動作をあげている。


「中国語」2001年2月号「マルユーランド」に載っているスーパーに売られている肉売場の豚のイラストの文句。
“我的肉!保您吃不「句多」!”(俺を食べたら止められないぜ)。


ウオノメのことを鶏眼というらしい。