四庫全書

乾隆帝が編纂させた「四庫全書」の保管先は、皇帝用4部が、北京紫禁城、北京円明園、承徳避暑山荘、奉天故宮、民間用3部が杭州、揚州、鎮江。江南の経済力が大きかったことがうかがえる。そして、江南の中心都市蘇州やかつての王城であった南京になかったことが注目される。


唐詩選冒頭の一首、魏徴の述懐の終わりのフレーズが「人生感意気 功名誰復論」。意気に感じる相手は皇帝である。


1976年に毛沢東が死去したときの天安門広場での追討集会には、「継承毛主席的遺志把無産階級革命事業進行到底」の看板が掲げられた。


南京で見た長江の水は赤かった。黄色というよりも赤に近かった。と思っていたら芥川龍之介も同じ事を書いていた。また、その流れの速さに驚いた。悠揚迫らぬ大河の流れという想像は外れた。長江大橋を歩いて渡りたいもの。


上海淮海中路は人民共和国成立前には霞飛路(Avenue Joffre)、フランスのジョフレ元帥の名をとっていた。現在の通りの名は1948年11月の淮海戦役にちなむ。2002年の淮海中路にはジョフレの名をつけたレストランがあった。


子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者(論語 雍也編)


上海県城の城壁は1912年に撤去された。


「中国語」2002年5月号によるとATMは自助銀行というらしい。