カチガラス

「米欧回覧実記」の中の上海県城の記述。
「朝、滬城ニ至ル、此城ハ呉ノ孫権ノ時ニ築ケルト云、外壁ハ磚瓦ヲ畳ミ、匝スニ小壕ヲ以テス、城中ニ市店アリ、街路ノ狭キコト、僅ニ三人並ヒ行クニスキサル処多シ、市店櫛比シ、百貨ヲ陳シ、居人ト行人ト、相雑遝スルコト、蜂聚蟻屯ニ比ス、下水利セス、溲溺漂ヒ流ル、居民ハ、其内ニ居止シ恬然タリ、路ニハ石ヲ甃ス、稍広キ所ハ、以太利ノ那不児ニ似タリ、城中ニ広館アリ、石ヲ甃シ池ヲ廻シ、庭園ヲ設ケ、土木ノ工、頗ル力ヲ用ヒタルヲ覚フ、然レトモ洒掃至ラス、塵埃檐ヲ埋メ、渟水腐敗シテ臭ヲ生ス」「溲」も「溺」も小便の意。


「活下去」の意味はテレサ・テンの歌で知った。「当心」の意味は満員のバスに乗っていて聞き知った。


南京や上海の街路樹にはプラタナスがよく使われている。上海のプラタナスが剪定がよくされており、また、昨今の再開発でなくなったところも多いのに対し、南京はプラタナスの大木が車道の上までかぶさっているのをよく見受ける。郊外の中山陵に向かうプラタナスの並木道は美しい。プラタナスは縣鈴木または法国梧桐というらしい。竹内実氏「中国長江歴史の旅」(朝日新聞社 2003年)によると、後者はプラタナスが上海のフランス租界にはじめて植えられたことによるとのこと。


初恋のきた道」でカチガラスが飛んでいた。


文筆というときの文は韻文、筆は散文を指す。


芥川龍之介「雑信一束」の一節。「居庸関、弾琴峡等を一見せる後、万里の長城へ登り候ところ、乞食童子一人、我等の跡を追いつつ、蒼茫たる山巒を指して、「蒙古!蒙古!」と申し候。然れどもその偽なるは地図を按ずるまでも無之候。」私も、はるか彼方の官庁水庫とその周辺の草原が内モンゴル自治区なのではないかと錯覚していた時期がある。


「六調グリーン」720CCを飲み始める。久しぶりの黒糖焼酎が暑気払いに合う。