琉球芋

深江順房が幕末に著した「丹邱邑誌」に多久の名産として甘藷があげられている。深江順房は、これの俗称が琉球芋であると記述し、元禄年間に琉球から種が渡来したと書いている。他国では薩摩芋ともいうと書いている。サツマイモは近世初頭には既に日本本土に導入されているようで、元禄9年に著された「農業全書」では「琉球芋」または「赤芋」といって薩摩長崎では多く作っているとの記載がある。なお、元禄11年に種子島島主種子島久基が琉球王の尚貞からサツマイモの種芋1俵を入手して家臣の大瀬休左衛門に栽培を命じて成功したとして、日本甘藷栽培の発祥の地という碑が種子島にあるという。