琉球芋の商売

中村久子氏「多久家「御屋形日記」から」(佐賀県部落解放研究所紀要19)に紹介された多久家御屋形日記安永10年(天明元年)2月26日条に、佐賀藩が、これまで在所で塩、明松以外の商売を停止していたところ、これからは、農具、打綿、油、鰯、ひじき、あらめ、琉球芋の商売を許す旨の記述がある。江戸時代の佐賀では、サツマイモは琉球芋と称されていたことが一般的であったと思われる。


BSジャパンで、菊池麻衣子田中律子がへちまの味噌炒めを食べていた。へちまの味噌炒めを食いたい。へちまの味噌煮を食いたい。