井伊直弼

城島正祥氏「佐賀藩の人口統計」(「佐賀藩の制度と財政」文献出版 1980年)では、佐賀藩の人口統計で中期以降女子の割合が増してくるのは、堕胎法が普及したことを前提として、男子を選択したい間引きの希望と残虐な間引きを避けたいという希望とを秤にかけて、結局後者を重んじ、そのための女児の出生は不運とあきらめる風潮が次第に広まっていったと推測がされている。


肥前磁器の海外輸出は、オランダの記録から1757年に公式貿易がみられなくなる。大橋康二氏「海を渡った陶磁器」(吉川弘文館 2004年)による。


鍋島直正井伊直弼は弘化4年に初めて会っている。