江藤新平の墓碑銘は副島種臣が書いている

大隈重信の墓は東京護国寺の山形有朋の墓の近くと赤松町龍泰寺にある。島義勇の生家跡は体育館。
江藤新平の墓は西田代町本行寺にある。本行寺の江藤新平の墓碑銘は副島種臣が書いている。江藤新平は最初鍋島村木角の蓮成寺に葬られた。現在の鍋島2丁目、鍋島中学校の北側に位置する。蓮成寺に葬られたときに、病気がなおる、兵役を免れる等のご利益があるとして、参拝する者が多かったため佐賀市街に近い本行寺に改葬されたとの記事が古老の談として「肥前史談」4巻6号に掲載されている。同様の話は的野半助「南白江藤新平」にも記述がある。改葬は明治14年、副島種臣らの手により行われた。
本行寺には成富兵庫茂安の墓もある。島義勇の墓は金立町来迎寺にある。この近くには古賀毅堂の墓もある。また近くには山本常朝の隠居所があり葉隠垂訓碑が建っている。


小城岡山神社祭神は初代小城藩鍋島元茂、二代鍋島直能。元茂は鍋島勝茂の長男。キリシタン灯籠がある。