平安座島

平安座島は耕作に適さず、漁業に依存する島だった。与勝半島平安座島とを結ぶ海中道路を平安座区が1961年から1966年まで単独で建設していた。ガルフ社が平安座島の隣の宮城島に進出を図ろうとしたところ、農業を主産業とする宮城島では反対運動が展開された。これに対し、平安座島では海中道路の建設(1971年)を条件にガルフ社を誘致し、以降、平安座島と宮城島の間の海の埋め立て(1974年)による石油基地の進出、伊計大橋(1982年)、藪地大橋(1985年)、浜比嘉大橋(1997年)の建設が進められた。関礼子氏「開発の海に集散する人々」(「沖縄列島」 東京大学出版会 2004年)による。


中華年記念音楽祭をNHKハイビジョンで見ていたら、元ちとせは「元千歳」(Yuan Qiansui)と本人がしゃべっていた。阿宝の「天下黄河九十九道湾」を初めて聞く。強烈な高音、圧倒的な声量と頭にタオルを巻いた香田晋鳥羽一郎風の風貌が強烈だった。


フランク・シナトラゴッドファーザーのテーマをレコーディングしているのだろうか?他の追随を許さぬ歌になりそうだが。


「八重泉」を飲みはじめる。年末は泡盛で始まり、年始は泡盛で終わる。泡盛は年中うまい。