南茂安村土井外部落

肥前史談」7巻4号に、昭和9年4月20日に、南茂安村土井外部落が中央畜産会から有畜農業奨励の趣旨による選奨状を全国20団体のうちの一つとして授与された旨の記事がある。「三根町史」には載っていない。これによると、土井外部落は戸数75戸、米麦作主体であるところ、牛(主として乳牛)を95頭飼育し、牛乳の共同処理と販売を通じて農家経済の更生、負債の整理がなされたという。 また、部落民所有の牛が斃死すれば、一同が2円ずつ出しあって1頭をその家に贈ることになっていたという。(周知のごとく、この当時、戦時体制にはいる中で、米価の下落、飢饉による農村の疲弊を救うために自力更生、隣保共助の精神で農村経済を更生させようとする運動が展開されていた。)土井外部落は今でこそほ場整備事業がなされ、水田が広がるが、「三根町史」によれば、戦前は畑がちで水田の面積が狭く、一帯でも貧しい方の部落であった。海外への移住も多くなされたとのこと。


愛敬町(あいけいちょう)、鬼丸町(おにまるちょう)、堀川町(ほりかわちょう)以外の佐賀市の町名はすべて「○○まち」と呼ぶ。