黒田節

Misiaの本名は伊藤美咲らしい。戸田恵子の夫は井上純一らしい。


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サハリンの鉄道は狭軌である。


黒田節にうたわれた母里太兵衛の日本号は、母里太兵衛福島正則から拝領した後、明治30年代に母里家から持ち出され、頭山満のもとに持ち込まれ、頭山満が、博多の侠客大野仁平にタダで与え、大野仁平の死後、安川敬一郎に1万円で売られ、大正9年に安川敬一郎が黒田家に寄贈し、黒田家が福岡市に寄贈したものという。昭和19年に玄洋社長となった進藤一馬の就任式は東京赤坂の黒田侯爵邸で行われ、そのとき日本号が飾られたとのことである。以上は、石瀧豊美氏「玄洋社発掘」(西日本新聞社 1981年)による。日本号は現在、福岡市博物館で見られる。


藤井譲治氏「江戸時代の官僚制」(青木書店 1999年)によると、「寛政重修諸家譜」に載せられた6354家のうち、寛政10年までに御家人から旗本に家格を上昇させた家数が1157家にのぼるという。


「沢手米」は海上輸送中に海水に濡れた米のことをいう。