佐賀藩の領内で都府というべき商工業繁盛の地は有田と伊万里のみ
「有田町史」商業編Ⅰにあげられている、嘉永2年の有田、伊万里の陶器商人の為替金拝借制度の要領は下記のとおり。佐賀藩が専売制度を始めたことに伴うもの。
1 江戸や大坂で登らせるのに不向きの陶器を調印元そのほかの者が価格を評定し、その70パーセントの金額を為替金として拝借する。
2 これらの陶器は倉庫に収納して役人が封印する。
3 倉庫に収納した陶器の中から見本を借り受けて、これを以って諸国からの商人と売買交渉する。
4 売買契約が成立すると、代金を用意して、倉庫に収納してある陶器の引渡しを受ける。
「鍋島直正公伝」には、佐賀藩の領内で都府というべき商工業繁盛の地は有田と伊万里のみであったとの記事がある。また、皿山代官が有田に赴任する際には外観を壮にして威光を輝かすため行列を仕立てたという。
豊臣秀吉が出した、武雄温泉利用のための掟書(武雄鍋島家文書)は下記のとおり。なお、天正20年は12月8日に文禄に改元されている。
「 定 條々 肥前国塚崎温湯
一 湯治之上下、対地下人、非分之儀申懸、猥之族於有之者、可為曲事事
一 湯入之輩、宿賃人別五文宛毎日可出之事
一 薪柴等可取之、屋敷廻其外御用木者、一切不可伐之事右条々 若違犯之輩於有之者、為地下人相拘可注進、速可被加御成敗者也
天正廿年六月十八日(朱印) 」