土井利位

糸満には毛遊びの習俗はなかったという。


中尾牛乳店の2007年のカレンダーには田丸麻紀がうつっている。


文禄元年に豊臣秀吉琉球国王を島津氏の与力とした。島津氏は明への出兵のため15000人の軍役を割り当てられたが、このうち、7000人分の兵糧米10か月分と名護屋城の普請役を琉球に課した。  


1710年に琉球では中国のジャンク型の馬艦船が導入され、1730年からは八重山でも馬艦船が建造され、それまでの和船にとってかわった。そして沖永良部島の島民から薩摩藩に馬艦船建造の申請が出されたことを受けて薩摩藩琉球に対し差し支えないか聞いたところ、琉球側は、沖永良部島の言葉は琉球と異なっており、万一、中国に漂着して厳しく尋問されたら、琉球と薩摩の関係の露顕で重大な支障を生じること、琉球船にまぎれて取締りが不行き届きになることから拒絶している。なお、馬艦船は旧来の船より船材を多く必要としたとのことである。豊見山和行氏「近世中期における琉球王国の対薩摩外交」(「新しい近世史」2「国家と対外関係」 新人物往来社 1996年)による。


「幕末御触書集成」6022号には、天保13年の徳川家慶襲職祝賀のための琉球慶賀使の登城にあたり、「琉球人登 城の節々、出仕の面々猥ニ見物之儀者勿論、殿上之間御廊下辺江一切罷越不申様可致旨、大炊頭殿仰渡候」という指示が掲載されている。物見高い人間は江戸城にもいたようである。「大炊頭」は老中土井利位。


寛政8年に江戸に来た中国に滞在したことがある琉球謝恩使の随員に聞書きを行った「琉客談記」(改訂史籍集覧16)によると、琉球使節が清の皇帝に拝謁するときは琉服を用い、琉球国王が清の冊封使を迎えるときは明服を用いるという。


百名バスターミナルでは定期券を売っている。


島らっきょうのてんぷらはうまい。塩をつけて食うのがよい。


与那原の海岸ではヒジキがとれる。


「すら所」とは造船所、「すらおろし」とは進水のことである。


国営沖縄記念公園ではかつてソメイヨシノを植えたことがあるが枯れてしまったという。また、現在沖縄本島では山間部にソメイヨシノが植えられ生育しているところがあるとのこと。朝日新聞2005年3月6日付けによる。