南京夫子廟

1995年10月の南京夫子廟の科挙の資料館には、勉強で精神に異常を来たした男の人形がさりげなく置いてあった。


「米欧回覧実記」中のナポリの記述。
「以太利ニ貧民多シ、羅馬ハ仏羅稜(フイレンツエ)ヨリ甚タシク、此府ハ又羅馬ヨリ甚タシ、此行欧米十二国ノ各都府ヲ略歴観シタルニ、此府ノ如く清潔ニ乏シク、民懶ニシテ貧児ノ多キ所ハナシ、支那ノ上海ト、此那不児トハ、一様ノ景況ナリト謂モ可ナリ」
一行は、帰りに上海に寄っているが、久米は上記のナポリと同様の印象を記している。なお、久米はナポリに行く前に上海を訪れたことはない。


一箇幽霊,共産主義的幽霊,在欧州徘徊。マルクス共産党宣言」冒頭。


2001年の「中国語会話」で放映した1981年の時代設定の中国のドラマでは、家庭の部屋でテレサ・テンの「何日君再来」が流れていた。(ラジオか?)
文化大革命以後の生活の変化を描いたドラマの中で、テレサ・テンの歌は、世の中が変わったことを示す、その時代の雰囲気の象徴的な歌として考えられているのであろう。


四人組、王洪文張春橋江青姚文元


中公文庫「中国文明の歴史」12「人民共和国の成立へ」江田憲治氏による解説によると、中華人民共和国の国号は、1949年10月1日の数日前に中国人民政治協商会議が決めた。当初は「中華人民民主共和国」が有力だったが、長すぎるし、ギリシア語の原義では「人民」と「民主」は同じ意味だとする意見が出され、準備委員会段階で「民主」が省かれた。その後、中国人民政治協商会議全体会議に報告された国号は「中華人民共和国(略称中華民国)」!
旧政権の国号と同じであるため、周恩来が長老政治家を集め議論のうえ、略称が削除されたものという。


1981年6月の中国共産党11期第6回中央執行委員会全体会議「建国以来の若干の歴史問題についての決議」による毛沢東の評価。中公文庫「中国文明の歴史」12「人民共和国の成立へ」江田憲治氏による解説から引用。
毛沢東同志は十年にわたる「文化大革命」で誤りを犯したとはいえ、その全生涯からみると、中国革命に対する功績は、過ちをはるかにしのいでいる。毛沢東同志にあっては、功績が第一義的で、誤りは第二義的である。」


華国鋒が党主席になった頃、パレードの折、それまでの毛沢東の肖像のプラカードに加え、彼の肖像が増えた。このまま行くと、どんどん、プラカードが増えて、天安門も肖像画で埋まってしまうのではないかと思ったことだった。


隋の煬帝、唐の高祖は中国化した鮮卑の出身と考えられている。