泡盛

太宰治の昭和21年の小説「親友交歓」(新潮文庫ヴィヨンの妻」所収)に、青森に避難前の東京にいたころのこととして、「私は東京に於いて、彼の推量の如くそんな、芸者を泣かせたりして遊んだ覚えは一度だって無い。おもに屋台のヤキトリ屋で、泡盛や焼酎を飲み、管を巻いていたのである。」という記述がある。戦前の東京の屋台では安酒として泡盛が普通に提供されていたのか。ここでいう泡盛は今と概念が違うのか。