前門外の一帯

1918年のデータでは北京で最も人口密度が高いのは前門外の一帯だった。
かつて漢江は漢陽の南側を通って長江と合流していた。
杭州には「東門菜、西門水、南門柴、北門米」ということわざで補給の生命線のセクターが意識されていたという。
長江の水運は武漢を境に東は江蘇、江西人、西は四川人のなわばりだった。


いずれも斯波義信氏「中国都市史」(東京大学出版会 2002年)による知識。