西安大雁塔

2004年5月の西安大雁塔南の麦畑でヒバリが鳴いていた。1995年に来たときは周辺は農村の雰囲気ただよう一帯だったが、急速に開発がすすんで大きな道路も通っている。ヒバリが鳴くのもあとわずかかもしれぬ。大雁塔に登るには20元かかる。西安城壁に上るには10元かかる。大雁塔よりも蘇州北塔からのながめが印象深い。安定門の城外からの上り口で料金を聞いたら十吧と答えた。西安の鐘楼では5元で鐘を3回撞くことができる。鐘楼の仮設トイレのまわりでは、そして近くの餃子の老舗徳発長の生演奏では「月亮代表我的心」が鳴っていた。中国のスタンダードソングの美しい旋律が印象深い。西安炭市街副食品街はアーケードの市場である。東大街から肉、乾物、魚の順に店舗が続く。どこか那覇の市場を思い出す雰囲気がある。西安の清真大寺は西安の中心にあるにもかかわらず、非常に静かな落ち着く場所であり、観光地としても一見の価値がある。にもかかわらず、日本からのツアーで立ち寄る例は少ないと思われ、実際にも西洋人の観光客が目立つ。付近はイスラムの雰囲気のあるエキゾチックな界隈で、これも魅力がある。土産品も西洋人を目当てにしたとおぼしきものばかりである。日本人が来ない一証左である。


薄暗い町に裸電球の屋台街のざわめき、ひんやりした空気、見上げれば鮮やかな満月、はるかかなた、シルクロードにつながる空、1995年秋の西安の夜が忘れられぬ。どこかに「長安一片月」の李白の名文句の記憶があったのかもしれない。


昭和25年9月発行の帝国書院編集部編「中学校社会科地図帳」ではチュンホア(中華)民国の記載がある。首都は南京、北京はペイピン、広州はコワントンである。


中国の歴代王朝の国号に国の理想をこめるようになったのは元からだという。ちなみに元は易経からとっている。 


北京の路地の夕方、夕日の照る路上で晩報の売り声を聞いたとき、昔こんなことがあったような錯覚を覚えるような懐かしい気がした。


香港文化博物館や香港歴史博物館の展示によると、新界の客家(一発で変換される)は、清代中期に移住してできたものという。意外な新しさに驚く。


はじめて中国に着いたのは上海だった。国慶節の休みでホテルに行く道路が歩行者天国になっており、夜に荷物を持って暗い道を歩いた。目が慣れてくるにつれて周囲がどこも人であふれていたことに気づいた。すさまじい喧騒にあっけにとられた。それから、上海は目に見えて町並みが変ったが、あのときの暗い夜の繁華街とどこからわいてくるのかと思わせる群集を見たときの驚きはなくなった。


中国北方航空の機内の現在位置を示す画面には「韓国湾」、「韓国海峡」との表記がしてある。