宗方仁

ジュリスト1262号「司法ネット構想の課題」の片山善博氏の発言から引用。
「いままでの行政は極度に裁判を嫌ったのです。特に被告になることを嫌った。県民といいますか国民といいますか、住民の皆さんが行政との間に異論・反論があって、どうしても折合いが付かず、「それなら裁判をしますよ」という話になったとき、行政はそれを極度に嫌いました。そこで何をしてきたかというと、搦手から抑えつけてしまったり、隠微な解決で、「あなただけだから黙っていてくれ」と言って、手厚い保障をしてみたり、そういうことをしてきた。私はそれが世の中を悪くしたと思うのです。(中略)行政と国民・住民の間には、必ず異論、反論はありますからトラブルもある。そのときに、あっさりとスマートに、司法の場に解決を委ねてしまいましょう、そしてそれに従いましょう(後略)」
「先ほども言いましたように、住民から「訴訟するぞ」と言われたとき、昔は「まあまあ」と言って応対したのを、いまは「どうぞ」と言っています。そうすると拍子抜けして「いや、そんなつもりで言ったんじゃないんだ」と言う人が大半ですが、中には「わかりました、じゃあ訴訟しましょう」というので、訴訟になっているものもあります。そのほうが実に気が楽です。そのときに弁護士は県内に20数名しかいませんから、もう入り乱れるわけです。あるときは住民側の弁護、あるときは県側の弁護に走る。しかし、県を訴える原告側の弁護士になったから、もう口も利かないとか、そんなことはぜんぜんありません。」


小学校の国語の授業で、反対語を言わせるというものがあった。例えば暑いの反対は寒い、大きいの反対は小さいというものである。大概の生徒はこの流れに沿って発言したが、ある生徒が、たばこの反対はこばたと発表した。感心し、天才にはかなわないと思い知らされた。


加藤周一氏「読書術」(岩波書店 1993年)から引用。「よい技術者になるためには、一般によくできているという評判の教科書五、六冊のなかから、任意の一冊を抜いて、その一冊を繰り返し読んで、暗記しないまでも、ほとんどそれに近い程度まで知りつくせば、それで十分でしょう。(中略)そういうことをしてどういう役得があるかといえば、(中略)その領域での新しい論文を読むときに、あらかじめ読んだ教科書の知識がおおいに役立つのです。なぜならば、学問的な研究論文は、教科書に書いてある知識を、いわば読者の常識としてはぶくか、あるいは、きわめて簡単に示唆する程度にとどめてありますから、教科書を十分に読んでいない人がそういう論文を読むことは、たいへんむずかしい。十分にわからないでしょうし、たとえわかるとしても長い時間がかかります。別の言葉でいえば、教科書をおそく読めば読むほど、そのほかの本をますますはやく読むことができ、教科書をはやく読めば読むほど、別の本の読み方がおそくなる。「急がば回れ」の理屈は、技術者の専門に関する読書の場合にはじつにはっきりと現われてくるのです。」


木村某がアイスホッケーのパックで前歯を折る怪我を負わせたニュースは日刊ゲンダイのスクープだった。


午前中に汗を出して、サウナに入り、茶を飲み、図書館で昼寝をするパターンの休日は充実感を覚える。


「のんびりワイド」を連日聞いていたことがある。さこみちよ、小鳩くるみ、岩崎直子、吉川美代子都家かつ江大沢悠里の豪華なメンバー。 


宗方仁は27歳で亡くなったらしい。