文明論之概略

福沢諭吉文明論之概略」では当時の日本を野蛮、半開、文明のうちの半開の段階とし、「農業の道、大いに開けて、衣食具はらずに非ず。家を建て都邑を設け、其の外形は現に一国なれども、其の内実を探れば不足するもの甚だ多し。文学盛んなれども実学を勤むる者少く、人間交際に就ては猜疑嫉妬の心深しと雖ども、事物の理を談ずるときには疑を発して不審を質すの勇なし。模擬の細工は巧みなれども、新たに物を造るの工夫に乏しく、旧を脩むるを知りて旧を改むるを知らず。人間の交際に規則なきに非ざれども、習慣に圧倒せられて規則の体を成さず。」の状態と考えた。
これを受け、丸山真男文明論之概略」を読む」上(岩波書店 1986年)では、自分も向上しようというふうに考えないで、ひたすら人を引き下げることでことで自分の満足を得ようとする傾向を「引き下げ平等主義」、「引き下げデモクラシー」と評し、現代日本でもいろいろな形で残っていると解説している。


「時雨」を飲みはじめる。