宮野町

反射炉は鉄鉱石を製錬するものではない。銑鉄(ずく)を溶解し精錬するものである。佐賀藩反射炉ではヨーロッパから輸入した銑鉄を精錬した。陶磁器や石炭はその代価だった。


武雄宮野町は、慶長4年に後藤家信が黒髪城から塚崎城に移るにあたって黒髪城下宮野の真宗寺院を集めたことによる。


葉隠」に民政的視点が欠落していることは小池喜明氏などが夙に指摘しているところである。ひたすら鍋島家中での家来のあるべき姿を説いている。「葉隠」を現代に生かす云々という文章を見たことがあるが、「葉隠」の記述を現代に生かせるのは、つぶれないオーナー経営企業でのオーナーから見た望ましい働き方といったらいいすぎであろうか。これは、何も「葉隠」の責任ではなく、思想史の文献としての「葉隠」の価値をおとしめるものではないが。