御通り

安田美沙子は、遠い将来の夢として、沖縄に住んでカフェを開きたいらしい。沖縄の雰囲気が好きで、のんびりして自分に合ってそうだとのこと。「週刊文春」2005年5月26日号による。うりずんの季節の沖縄が好きだ。


首里城の正月儀礼では所定の朝拝が終わると、南殿で国王の出御のもと、列席者の世子・世孫、王子衆、三司官などが着座し、国王からは金耳盃により泡盛のお流れがあり、これを「御通り」または「大通り」と称したという。萩尾俊章氏「泡盛の文化誌」(ボーダーインク 2004年)による。


琉球士族の家名は領地名であり、領地が変わるごとに家名も変わるものであるから、門中の名は、家名ではなく王府から下賜された中国姓を冠した。沖縄の墓に中国姓が記載されている所以の一である。


弘化3年に琉球に来たイギリス人宣教師ベッテルハイムを帰すため、琉球王国は清に歎願をした。このことについて、幕府や薩摩藩は積極的な行動を起こさず、清を通じての問題解決を期待した。


北海公園や後海のほとりからは北京の高層ビルが見えない。北京の真ん中にいても別世界にはいったような気がする。