フクギはフイリピン原産の常緑樹

フクギはフイリピン原産の常緑樹である。本部町備瀬の並木は有名だが行ったことはない。波照間島でフクギに包まれたような集落のたたずまいがすばらしかったことを覚えている。


ベイジル・ホール「朝鮮・琉球航海記」(岩波文庫)では那覇をナパと呼んでいる。
ベイジル・ホール「朝鮮・琉球航海記」(岩波文庫)の琉球の記述は、硫黄鳥島の描写から始まる。琉球の人々との暖かい交流は感銘を与える。これが、西欧世界に伝えられた最初の琉球のイメージだということであるが、これを読めば、琉球が理想郷のように思えるであろう。
ベイジル・ホール「朝鮮・琉球航海記」(岩波文庫)には、1816年に琉球を訪れたイギリスの軍艦に対し、琉球側から焼酎一壺が贈られたこと、宴会ではサキと呼ばれる軽いワインが出されたことが記されている。また、琉球には武器がなく、貨幣がなく、人々は知性的で温和で盗みをせず、ヨーロッパ人を排斥しないと書かれている。イギリスへの帰路、ホールが、セント・ヘレナ島に幽閉されたナポレオンに琉球のことを話している。このことについては、「ペルリ提督日本遠征記」(岩波文庫)では、「艦長ベージル・ホールは、琉球人に関する彼の興味ある、然し余り信頼の出来ない記録に於て、琉球人は戦争を知らないと述べてをり、又同艦長がセント・ヘレナに於てナポレオンに謁見した際自分の旅の経験を話した時、艦長から琉球人の特異な性質を聞いたかの偉大な軍人は驚いて肩をすくめ、「戦争がない。そんなことは不可能だ!」と語ったと云ふ。」とある。また、サキについては、「ペルリ提督日本遠征記」では、米から蒸留した発酔飲料であって非常に強く、フランスのリキュールのような味がするとある。


天保3年閏11月7日に、今の国立市在の出身で江戸に医学の修業に来ていた本田覚庵は江戸城に入る琉球使(謝恩使)を見に行き、「今朝琉球人見物ニ桜田席の口へ行、遠見致し五ツ時頃帰り来ル」と記している。大勢の見物の中、琉球使が登城している。菅野則子氏「江戸の村医者」(新日本出版社 2003年)による。なお、琉球使節の正使は江戸城大手三の門前まで乗物で進んだ。