1929年生まれ

七浦小学校の運動会では出場者は裸足である。


一ノ瀬俊也氏「兵隊さんに銃後の姿を送ろう」(「日本歴史」686号)は、静岡県が1940年ごろに作成した「前線兵士に送る慰問文・慰問袋の作り方指南」の紹介である。そこでは、1937年から銃後県民が戦地に出す手紙は、戦地から銃後に出す手紙より15%少ないこと、「無言の凱旋を待っている(戦死してください)」という慰問文は兵士に喜ばれないであろうこと、敵の蒋介石をぶん殴る絵は困ること、慰問品として戦争文学はそれ以上に現実をよく知っている第一線では喜ばれないこと、食料品はまわりと分けることができる分量を送ってほしいことなどがあげられている。


村田英雄、大川橋蔵オードリー・ヘプバーンアンネ・フランクアラファトはいずれも1929年生まれである。


永井荷風小林清親の作品を「明治初年の東京を窺い知るべき無上の資料である」と評している。島根県立博物館には小林清親のコレクションがある。光の描写が、本物を見ても印象深い。一見の価値がある。


高井昌吏「女子マネージャーの誕生とメディア―スポーツ文化におけるジェンダー形成―」(ミネルヴァ書房 2005年)に、1986年から1999年までのNHKの高校野球夏の全国大会の関東と関西の視聴率の推移が掲載されている。常に関東が関西を上回っている。90年以降おおむね2ポイントの差があるようである。朝日放送の視聴率はこれを上回るのと考えていいのだろうか。


黒田長溥は島津重豪の第九子である。


「新札幌市史」に、1869年に開拓判官として赴任した島義勇が構想した札幌の都市計画図では、民地を本府地に隣接した本府区域内の街区内に配置する構造は佐賀の都市構造に類似しているとの指摘がある。佐賀城下町は総郭内に町人地と武家地が水路を隔てて配置された総郭型とされている。 


第二次大戦の戦災により、名古屋城大垣城和歌山城岡山城、福山城、広島城天守閣が失われ、1949年の火災で松前城天守閣が焼失した。



シンガポールプーケットの距離は香港と台北の距離より長い。