チャンポン

蛍の光」の原題は、Auld Lang Syne。Old Long Sinceの意。


「本郷」43号所収の、越中哲也氏「港の文化誌 長崎4 長崎の食文化」では、チャンポンは明治30年頃より来航した福建方面の人達によって持ち込まれた料理で「吃飯」のことであり本来は簡単な料理を意味する言葉であるとされている。典拠根拠が書かれていないのが残念。インターネットでは下記のようなページがある。http://www.nchs.nagasaki-city.ed.jp/oranda/chanpon/cha2-m.html
チャンプルーとチャンポンの語源に関わりがあるのではないかという説を見たことがあるが、越中説ではどう説明されることになるのだろうか?


判例時報1798号には、宝塚市パチンコ店等建築規制条例事件の最高裁判所判決とウラン残土撤去請求事件の鳥取地方裁判所判決が載っている。


「昔夢会筆記」(平凡社東洋文庫 1966年)の中の明治42年10月11日の聞き取りの中で、徳川慶喜(興山)は、「昔薩摩の人に逢った時に困ったことがある。話をしても言うことがちっとも分からぬ。向こうでは一生懸命しゃべるけれども、少しも分からぬ。」と言い、「薩摩人の次に詞の分かりかねるのは肥後人だ。」と言っている。


蜃気楼の蜃はハマグリのこと。ハマグリの吐く気により蜃気楼が出現するものと考えられていた。


上野公園の西郷像は足半を履いている。