芥川龍之介が大正11年の学習院での講演で

小児慢性特定疾患治療研究事業の不承認は行政不服審査法による異議の申立ての対象とはならない。当制度による公費負担を受けることは法律上の権利とは言えない。


芥川龍之介が大正11年の学習院での講演で、場所を知らなかったので目白駅から人力車に乗ったと言っている。彼は当時田端に住んでおり、また、本郷の大学に通った代々の江戸っ子である。この発言は本当のことを言っているのだろうか。仮に知らなかったのが本当であるならば、学習院という存在が華族以外の者にはまるで縁がなかったというべきか、目白というのが東京の範疇をはずれたようなところだったのだろうか。