自己内対話

丸山真男氏「自己内対話」(みすず書房 1998年)の一節。
「ファナティックとは、よくいわれるように、目的のために手段を選ばぬものではない。逆に特定の手段を目的と混同して固執するものである。そうした固執に盲目となって、名分(コーズ)の連鎖を見失ったものである。」


小学校の頃は、新聞の当落予想を見て各党の消長を数値化するのが楽しみだった。今でも進歩はない。


週刊朝日」2003年3月14日号所収の「語るには若すぎる」の加藤周一氏の発言。
「「子どもを救うのに国籍は関係ない」という石井(好子)さんの救援活動を、私は全面的に支持する。孔子の生命感を伝えるこんなエピソードがある。酷使され、息絶え絶えの馬を目にした孔子が、弟子に「あの馬を買い取り、救いなさい」と命じる。弟子は「この国には何十万もの馬がいます。なぜあの馬だけを助けるのですか」と聞く。孔子は答えた。「この馬が私の目の前にいるからだ」石井さんと孔子の逸話は、人の行動の基本は「知的反応」にではなく、「感情的反応」にあると教えている。第2次世界大戦のころ、南京やアウシュビッツで大量虐殺があった。犠牲者の数の多寡については種々の研究報告がある。その数3万でも30万でも、犠牲者の全体はだれも見ることはできない。数は客観的統計で、その後の政府の政策は合理的な判断だ。しかし、戦争への怒り、反発、犠牲者への同情や悼みは、一人の少年、一頭の馬に向けられた感情こそが出発点になる。合理的な政策や判断は、時間がたってから導き出される。両者は最初から並立しているのではない。」


木原うなぎ屋で若松市政がプロレス記者らしき人物と昔話をしていたのを聞いたことがある。


安藤昌益の名をはじめて知ったのは「天下御免」だった。


It’s no big deal. たいしたことない。


村下孝蔵は1999年に46歳で亡くなった。