吉川幸次郎

吉川幸次郎「古典について」(講談社学術文庫)から抜き書き「いわゆる日韓併合は、幸徳事件とおなじく一九一○年の世事であるが、そのときはすでに小学校にはいっていた。校長先生から、こんどのことは両国の合意によるもので、日本のおしつけでない。そこのところをまちがえないようにと、訓話があった。軽微な疑問、あるいは反撥が、こども心にあった。」 少なくとも氏の周辺では、押し付けだと感じていた、わかっていたし、一般にもそう思われていたから、校長もこんなこと言わなくちゃいけなかったと思われる。

泡盛

太宰治の昭和21年の小説「親友交歓」(新潮文庫ヴィヨンの妻」所収)に、青森に避難前の東京にいたころのこととして、「私は東京に於いて、彼の推量の如くそんな、芸者を泣かせたりして遊んだ覚えは一度だって無い。おもに屋台のヤキトリ屋で、泡盛や焼酎を飲み、管を巻いていたのである。」という記述がある。戦前の東京の屋台では安酒として泡盛が普通に提供されていたのか。ここでいう泡盛は今と概念が違うのか。