小右記

藤原道長の長女彰子は一条天皇の中宮となった。次女の妍子は三条天皇の中宮となった。そして三女の威子は後一条天皇の中宮となった。威子が中宮に立てられた寛仁2年10月16日の夜の宴席で「この世をば……」の歌を詠んだ。河内祥輔氏「村上天皇の死から藤原道長「望月の歌」まで」(「史学雑誌」117編11号 2008年)ではこの歌が16日に詠まれたことや我が世と思う主語は月であることに着目し、得意の絶頂にある藤原道長という一般の理解とは違い、昨日の満月も今日は欠ける、栄華のはかなさが藤原道長の想いであったとされている。