ジャパン

日本をジャパンというのは16世紀初頭に中国南部に到達したポルトガル人がそこで耳にした「日本」の発音がもとになっている。マルコ・ポーロジパングポルトガル人が聞いたジャパンは別のものと考えられていて、地図上も両者が書かれている。両者が同じものであることが判明し、ジャパンがジパングであることを地図に明記したのは1569年のことである。以上は海野一隆氏「地図に見る日本」(大修館書店 1999年)から得た知識。


守屋毅氏「元禄文化」(弘文堂 1987年)によると、元禄期の芝居小屋の間口は最大で、京都16間、大坂10間、江戸12間。