山本常朝

山本常朝が書いたと想定される「御代々御咄聞書」(「佐賀県近世史料」第8編第1巻)に、鍋島光茂の話として、関ケ原の合戦のときに西軍についたのは誤りだったと言われるが、そうは思わない。これは将軍に対してもはばかることはない。なぜなら、祖父の鍋島勝茂は太閤の恩が浅からず、秀頼の下知があれば分別勝負にかまわず西軍につくのがもっともだからである。西軍が負けたからには取り潰しにならないではいられないところを許されたことについて、徳川家康の恩は申し尽しがたく、今日まで家が連続したのは松平代々の厚恩によるものである。だから、長崎警備を申し付けられたことは幸いであり、一命を捨て恩に報いるということが記載されている。