焼米堤

佐賀県最古の板碑は大町町福母にある。応安6年の銘がある。応安6年は1373年である。


オールコック「大君の都」に、佐賀藩領の長崎街道のすぐそばの丘のふもとにある大きな貯水池か湖のものと思われる高い堤を見かけたので、その堤の構造なり規模なりを見るために、道からそれて上のほうに通じる階段をのぼっていったところ、護衛の佐賀藩の家臣から抗議されたことが書かれている。焼米堤に比定されている。


諸富橋と大川橋は昭和30年に架橋された。これにより、下流の吉原渡しと野中渡しは昭和32年になくなった。


ベトナムホイアンでは、17世紀中葉から末の肥前磁器が多数出土している。種類は染付けのみであるという。この時期は中国磁器の輸出が激減していた時期で、中国磁器の代替品として輸出されたものとされている。大橋康二氏「海を渡った陶磁器」(吉川弘文館 2004年)による。


唐津に大正2年にできた「世界館」が佐賀県内でできたはじめての映画館である。佐賀市最初の映画館は大正4年にできた「大勝館」とのことである。「佐賀この100年」(佐賀新聞社 1984年)による。なお、杉谷昭氏「佐賀県の百年」(山川出版社 1986年)では「世界館」の開館は大正4年となっている。