薬屋株

小林肇氏「対馬領田代売薬史」(1960年 自家出版)には、文政元年に対馬藩領になった浜崎で、運上銀と引き換えに薬屋株を与え、売薬を保護したことを記した資料が紹介されている。


渋沢栄一はその自伝「雨夜譚」(岩波文庫)で、「藩札というは現今の兌換紙幣のようなもので、その頃、中国四国の藩々にては盛んに流行した。もとより紙幣を以て金銀に代えるのは経済上相当なことで、いずれの国にも紙幣のあることは聞いて居ったから敢えて怪しむべきものではないと思ったが、当時この藩札中において、長州および肥後、肥前の藩札はやや通用が好かったなれども、姫路その他の藩札は多くは他領へ通用せぬ。稀にこれを所持するも、一束の藩札で一丁の豆腐も買い得られぬ次第にて、その領内の通用も何割引あるいは何掛ケなどいって、例えば百匁の札に三を掛けて三十匁に取引するという始末であったから、札の表面に書いてある直段はほとんど虚価にして実価は時の相場に従うものであった。」と述べている。