高輪広岳院

武雄新町のお抱え医師、中村諒庵は天保8年に種痘を行っているとの説が石井良一氏「武雄史」にある。一方、「武雄市史」によると、「中村諒庵墓誌銘」には天保10年に種痘を行ったとの記述がある。
蓮池藩の歴代藩主の墓は宗眼寺、小城藩は星厳寺と玉毫寺、鹿島藩は普明寺にある。ただし、鍋島直條の墓は高輪広岳院にある。


長崎には大黒町に佐賀藩、東中町に唐津藩の蔵屋敷があった。


「野田家日記」ではかえるのことを「引」と表記している。「引」すなわちビッキである。