皆白

堤主禮「雨中の伽」(『随筆百花苑』第15巻 中央公論社 1981年)は、幕末の佐賀の芸能についての文章である。


佐賀藩士の切米高に「皆白」とあるのは、赤米が入っていないことを示す。


佐賀城下町は総郭内に町人地と武家地が水路を隔てて配置された総郭型で、会津若松のような郭外町地型や彦根のような内町外町型とは異なる構造になっている。


嶋畑(うね畑)は、半田、掻揚田とも呼ぶところもあり、低湿水損場や旱損場に現れる。有明干拓では綿や雑穀が作付けされ耕地の塩抜き機能があった。次第に水田化していった。


葉隠聞書一、教訓。聞書二、教訓。聞書三、直茂公御咄。聞書四、勝茂様御咄、忠直(勝茂嫡男 光茂の父)様御咄。聞書五、光茂公・綱茂公・了関(蓮池藩主直之)様・御姫様方の御事共。聞書六、御国古来の事。聞書七、武勇・奉公方、御国之諸士褒貶。聞書八、御国諸士の褒貶。聞書九、
御国諸侍の褒貶。聞書十、他家の噂并由緒等。聞書十一、前の十冊に不載事其外。  


大石内蔵助と山本常朝は万治2年生まれの同年である。