天妃小学校

斎藤用之助は、島尻郡長になる前、中頭郡長であった。明治31年に管内の小学生の「思想の程度」の如何を図るための調査を行ったことが、「琉球新報」を引用して、安良城盛昭氏「琉球・沖縄と天皇・《天皇制》」(「天皇天皇制・百姓・沖縄」吉川弘文館 1989年)(初出は地方史研究協議会編「琉球と沖縄」(雄山閣 1987年))で紹介されている。そこでは具志川尋常小学校4年生39名中、33名が最も尊敬すべき者は天皇と答え、最も憎むべきものは逆臣(9名)、足利尊氏(1名)と答えている。また、与勝尋常小学校卒業前の生徒26名中22名が最も尊敬すべきものは天皇と答え、最も憎むべきものに支那人(2名)、結髪者(2名)と答えている。更に中頭高等小学校4年生のうち11名が、最も悲哀を感じたのは後醍醐天皇が賊に苦しめられたことをあげ(ちなみに、家族の死去、病気は10名)、歴史中最も憎めべき人物として足利尊氏(27名)、最も敬慕すべき人物として楠正成(20名)をあげている。「琉球新報」において、斎藤用之助は「学事奨励に熱心なる事は窶々(ママ)伝聞する所」との評がある。その指揮下、天皇などというものに縁のなかった沖縄中部の小学生が、このような「思想の程度」に達したのである。教育の力は大きいものである。


那覇の天妃宮の跡地には天妃小学校となっている。


「時雨」を飲みはじめる。