泡盛醸造用のカメが焼かれた

鉄道ジャーナル」2003年8月号には、1995年以降、沖縄の乗合バスとして購入されたのは沖縄バスの1台のみであり、依然として1978年の交通方式の変更に伴う集中投入された1978年式が多数残っているとの記事がある。


新井白石「南島志」では、硫黄鳥島について、「鳥島 島在恵平屋島東北五十余里 周廻二十四町 厥土産硫黄 明人所謂硫黄山 即此」と記述されている。


武雄市史」上巻(1972年)によると、橘町上野付近には良質の粘土が産出し、家庭用のカメや泡盛醸造用のカメが焼かれたという。胴径1メートル、高さ1.4メートルの3石入から、5石、6石入のカメの全国唯一の産地であり、昭和28年ごろまで沖縄に向けられていたという。                  
こういうサイトがある。 http://www2.saganet.ne.jp/haniwa/warekisi.html


吾輩は猫である」六に、「かう暑くては猫と雖遣り切れない」夏の日に、「迷亭が薩摩上布を着て勝手な所へ陣取つて頻りに扇使ひをして居る。」という記述がある。迷亭は、風流を気取る人物であるが、それが、夏の服装として、宮古の特産、薩摩上布を着ているのである。もっとも、本当に宮古で作られたものと考えていいのかどうか。


堂前亮平氏「沖縄の都市空間」(古今書院 1997年)によると、1933年当時の公設市場は那覇(3か所)、首里(3か所)、糸満、与那原、名護、渡久地、今帰仁、平良、石垣にあった。現在の糸満の公設市場の原形は1958年頃に誕生し、現在の施設は1965年に建設され、1974年に増設された。意外に歴史は新しい、というか、戦前の立地とつながらないことが沖縄の特質なのであるが。


天橋と虹橋は太鼓橋の意味。