新天地市場

「山原くいな」を飲みはじめる。泡盛でくつろぐ。


沖縄県内では、ビールのシェアを発泡酒が上回り、これにより、オリオンビールのシェアは、50%程度に落ちたという。2003年5月31日付け朝日新聞による。


沖縄県には戦前、高等学校以上の国立の高等教育機関は設置されなかった。戦前にそれらが一つしかなかったのは、奈良県福島県、栃木県、埼玉県、福井県山梨県三重県滋賀県和歌山県島根県香川県高知県佐賀県大分県、宮崎県であり、奈良県を除き、大正9年から13年の間に設置されている。安良城盛昭氏「「沖縄県史」刊行の意義と残された課題」(「沖縄史料編集所紀要」第3号 1978年 「新・沖縄史論」 1980年 沖縄タイムス社に所収)による知識。


首里城に戦前の国宝(戦後は重要文化財とされた)のうち、沖縄県内にあったものがどうなったかの表が掲示されている。そのすべてが戦災によりなくなっている。改めて知ると驚く。今のごちゃごちゃした首里の町そのものがかつてのそれとは全く異なるものであろうが。


琉球王国薩摩藩の侵攻を受けた後、江戸上りの際には、異国風の装束を余儀なくされた。このことは、幕府や薩摩藩が異国まで威令をとどろかせていることを知らしめるものであったというのが、これまで習った知識である。このことは、どの程度の根拠にもとづくものであろうか?史料的な裏付けがあるものであろうか?琉球王国が独立した王国であるとの気概を示すのなら、琉球王国の方でも異国風の装束を選択するのではなどと無知な人間は想像する。別に根拠があるわけでもない。


元禄国絵図の写しが沖縄県立博物館に展示されている。本島南部のあたりに「オキナワ島」の記載がある。「泡盛」の表示が酒税法上認められたのは1983年。


へちまの味噌煮はうまい。麩のチャンプルーもうまい。食物繊維を大量に摂取できる。


始発から乗ると、出発してから、停留所を案内するテープの最初の業務連絡が流れることがしばしばある。また、最近では少なくなったようだが、テープと実際の停留所が合わないこともよくあった。こんな沖縄の路線バスが実は好きでもある。


2003年5月4日、初めて、実際に「オッケーさー」と、「ハウマッチ」と言う婦人を新天地市場で見た


笹森儀助「南嶋探験」(平凡社東洋文庫)に、「嶋人通常鹿児嶋人ヲ指シテ倭人(ヤマトンチウ)ト云ヒ、其他ノ府県人ハ総テ大倭人(オホヤマトンチウ)ト云フ。而シテ大倭人ハ温和ナリ、倭人ハ粗暴ナリト云フ。」という記述がある。笹森儀助が沖縄に行ったのは明治26年のことである。