戦前の沖縄県の市

戦前の沖縄県の市は、那覇市首里市。町は名護町、糸満町、平良町、石垣町。また、本部は1940年に町制施行。平良の方が石垣よりはるかに人口が多かった。平良には旧制中学校があったが、石垣にはなかった。石川市嘉手納町は、それぞれ隣の金武村、北谷村の一部だった。アメリカ軍占領の結果として分離したものである。また、与那原町は大里村の一部だった。広大な竹富町国頭村は、戦前も同じ範囲で竹富村であり、国頭村だった。奄美には市はなく、名瀬町、古仁屋町、種子島に西之表町があった。


三線は、14、5世紀に中国から沖縄に伝えられたものという。これによる伴奏により、沖縄の歌は8、8、8、6音に定型化していったという。「江戸時代 人づくり風土記 沖縄」(農山漁村文化協会 1993年)の所収の大城学氏の文による。例えば「てぃんさぐぬ花」もこのパターン。


佐喜真興英「シマの話」は、宜野湾の民俗誌、大正14年の作。ここでのシマはムラを指す。この本ではシマを「島」と表記している。注意を要する。


「谷茶前」は浜にキビナゴが来たことからはじまる。


聞得大君、君は王府の神女の総称、聞得大君は琉球王国の最高の神女、聞得は評判の高いの意。王の妹又は王妃が任命される。外間守善氏「おもろさうし」(岩波書店 1998年)による。