九六銭

聞道、聞説→きくならく  見説→いうならく  向、欲、垂→なんなんとす 高浪垂翻屋→高浪、屋をくつがえすになんなんとす 


小島毅氏「中国思想と宗教の奔流」(講談社 2005年)によると、北宋では、東京開封府(開封)、西京河南府(洛陽)、南京応天府(宋州)、北京大名府(魏州)を四京としたという。南京応天府は東京開封府より東に位置する。また、日本の九六銭と同様に、百文に満たない数量を百文とみなすのは前近代の東アジア全域で行われていたことらしい。北宋末の開封のことを記録した「東京夢華録」では、官用が77文、街市通用が75文、魚肉・野菜が72文、金銀が74文でそれぞれ100文として支払にあてたとされている。 


寛政8年に江戸に来た中国に滞在したことがある琉球謝恩使の随員に聞書きを行った「琉客談記」(改訂史籍集覧16)に、「象ハ安南国より出つ元旦にハ象に種の装飾をし其背に大なる香爐を負せて七門の内午門の前につなきおく」との記述がある。


北京内城と外城をつなぐかつての門は東から、崇文門、正陽門(前門)、和平門、宣武門。内城と城外をつなぐ門は東から反時計回りに、建国門、朝陽門、東直門、安定門、徳勝門、西直門、阜成門、復興門。外城と城外をつなぐ門は東から時計回りに東便門、広渠門、左安門、永定門、右安門、広安門、西便門。建国門と復興門と和平門は清朝時代にはなかった。竹内実氏「北京」(文春文庫 1999年)では和平門は正陽門の東とされているが誤植でなかろうか。


厳冬の時期には西域をうたった詩と江南の春をうたった詩を読むのが似合う。春爛漫の西湖に行きたいもの。
春題湖上  白居易
湖上春来似画図 乱峰囲繞水平鋪 松排山面千重翠 月点波心一顆珠 
碧毯線頭抽早稲 青羅裾帯展新蒲 未能抛得杭州去 一半勾留是此湖


「梅花」は1975年の作品である。


沖縄の高校生の制服の着こなしよりも台北の高校生の制服の着こなしの方が違和感がない。


コラソン・アキノの父方の曽祖父は福建省の出身である。


1959年に発表された吉川幸次郎氏「日本的歪曲」で、「礼記」内則篇の「七年男女不同席」の「席」は座蒲団のことで、その上でいっしょにころげまわってはいけないという意味で、「男女七歳にして席を同じくせず」のような、男女の隔離という意味ではないとし、「三尺下って師の影をふまず」という文言は中国の古典に全く見当たらず、先生は弟子を友人としてあつかい、形式的な礼敬を求めないのが中国の伝統であるとしている。