武漢黄鶴楼は武昌にある

加藤周一氏は、道元は主著を漢文で書かなかった唯一の偉い坊さんである。その理由は、一つは、道元が長く中国にいて、中国語は外国語で日本語ほどはできないということがわかるほど中国語がわかっていたからであり、もう一つは中国が仏教に関する圧倒的な先進国であるにもかかわらず、道元には中国コンプレックスがなかったからであるとの指摘をしている。「加藤周一対話集1 日本的ということ」(かもがわ出版 2000年)所収の山折哲雄氏との対談による。この対談の初出は、「季刊仏教」1990年1月号である。なお、この対談で加藤周一氏は、やたらに日本語の中に英語をまぜて書く人は、英語でものを書いたことがない人だとの指摘もしている。


はじめて意識した中国製品は岩田屋の中国物産展で買った1ダース30円の消しゴムつき鉛筆だった。はじめて読んだ中国で作られた本は九塞溝とそこに住むパンダについて書かれた小冊子だった。


ベッテルハイムは、太平天国の乱の首謀者洪秀全キリスト教を信奉していることを知っていた。 


蜀はぐにゃりとした虫けらという意味、呉は口の字がなかにあり、大声でわけのわからないことを話すという意味らしい。金文京氏「三国志の世界」(講談社 2005年)から得た知識。


ジンは「金酒」というらしい。


北京が北平と改称されたのは1928年。1937年に日本の傀儡政権中華民国臨時政府が北京に改称。1945年に再び北平にもどり、1949年9月30日の中国人民政治協商会議で北京に改称された。


武漢黄鶴楼は武昌にある。


北京天安門広場毛主席紀念堂の扁額は華国鋒の筆である。


紅茶のピコウ、スーチョンは、白毫、小種が語源である。福建語の読みらしい。上海のフランス租界と共同租界の境界は洋芤浜、現在の延安路である。


仁川国際空港から金浦空港まではバスが15分から20分間隔で連絡している。運賃は6000ウオン。市街地らしい市街地を通過しない自動車専用道路となっており、時間は読める。金浦空港のバス停から地下鉄5号線金浦空港駅へは歩いて10分はかかる。金浦空港駅から6号線普門駅までの運賃は1200ウオン、仁川国際空港から普門駅までは2時間かかる。