内地

日本統治時代の満州や蒙古では日本人の居留地以外の土地を「内地」と称していた。


兵馬俑博物館入口の「秦始皇兵馬俑博物館」という額は葉剣英の筆である。


人民が勝手に龍の紋様を用いてはならぬという禁令がはじめて発布されたのは北宋のときという。このころから龍は2本の角と5本の爪と言う風に定まり、元代に法令で明文で定められたという。宮崎市定氏「龍の爪は何本か」(「中国文明論集」岩波文庫)による。


昭和9年9月発行の帝国書院「増訂改版新選詳図世界之部」の上海市街図によると上海県城の区域には電車が走っていない。                           


上海図書館の敷地は乳製品の工場だった。その以前は牧場だった。真夏の上海南市の入り組んだ路地に面した家の軒先で、老人が半分に割ったスイカをさじですくって食べていたことが印象深い。古い建物と路地の先には超高層ビルが見えていた。


ハワイで1802年にカメハメハ王朝の許可を得て最初にさとうきび栽培を始めたのは中国人だといわれているそうである。山中速人氏「ハワイ」(岩波新書 1993年)による。


最後に白衣の「傷痍軍人」を見たのは80年代半ばの佐嘉神社前だった。