私の起業物語


團藤重光氏が昼食をとっているのを見たことがある。あれが有名な團藤氏であるかと思った。


「学士会会報」846号所載の村山由香里氏「私の起業物語」に次のような一節がある。氏は昭和57年に大学を卒業し、苦労してはいった会社での生活が意欲を満足させるものではなく、3年でやめている。
「さて、意欲だけはある二六歳の高学歴女の地方での再就職はさらに悲惨で、しかたなくとりあえず、市役所の臨時職員の職を得た。三ケ月契約で仕事内容は書類の清書、コピー取り、タバコ買い、職員のためのお茶くみ、他に何があったかなあ…。そのフロアには五〇人ほどの職員がいた(庶務の女性以外全員男性)。お茶くみは、朝、昼、三時のお茶、夕方帰る前の四回。六人の二〇代女性の臨時職員が、職員全員のためにお茶を入れ席まで持っていく。いそいそと。全員のマイカップを覚え、コーヒー一杯だの一杯半だの、クリープは入れるだの入れないだの、砂糖は…だの、この人は三時だけは紅茶だの…、全ての好みを覚えて入れるのだ。あきれた。屈辱でカラダがガタガタ震えてきた。なんだ、これは。「社会は女性の労働力をこの程度にしか見ていない」という差別の実態を自分の身をもって体験したときのあの屈辱感。自分がこんな労働でしか社会の役に立たないという立場に立たされたときの、全人格を否定されたかのような無力感。カラダに電流が走ったような衝撃を受けた。」