有明うなぎ屋

末弘嚴太郎「民法雑記帳」上(日本評論社 1953年)所収の「民法の独自性」から引用。この文章自体は戦前のものである。
「すなわち民法の商化という現象は資本主義社会においては一般人がだんだんに商人化する傾向があるという事実に基礎を置く法律変化の傾向を表わすものにほかならないのであって、しかも現実においては一般人は法学者が普通に考えるほど一般に商人化しない、したがって商化した私法原理をそのまま適用されるに適しない性格を多分にもっている。(中略)現在でも公序良俗、権利濫用の法理、信義誠実の原則等の修正原理が商法におけるよりはるかに民法において必要とせらるるのは、現在の民法原理すらあまりに商化しすぎており、したがって一般普通人はその適用に堪えられないという事実を物語るものではないかと考えられるのである。商法の適用に堪えることができない商人はよろしく商人をやめるがいい。商人をやめてもなお活きる道がある。民事訴訟法の適用に堪えない弁護士はよろしく弁護士をやめるがいい。弁護士をやめても別に活きる道はいくらでもある。ところが民法の適用に堪ええない人間は人間をやめるわけにゆかない。人間をやめることは死ぬことである。いかに民法が商化するのが当然であるとしてもそれがために人間を殺すわけにゆかない。さればこそ権利濫用や信義誠実の原則が商法や民事訴訟法におけるより民法においてはるかに意義をもつと私はいうのである。」


放送大学「大学の窓」には、いろいろなところでいろいろな状況のもと、学問に励む人々が紹介される。その姿が美しい。怠惰な自分が恥ずかしい。


2003年2月17日に吉村道明死去。


唐人町アーケードが終わる頃、「有明うなぎ屋」の蒲焼の芳香が漂ってくる。アーケードを抜けると玉屋の豪壮なビルディングが見えてくる。そんな時代があった。堀には貸しボートが浮かんでいた。玉屋の屋上にはモノレールが周回していた。


「白百合」を飲み始める。「ちゅらさん」を見ながら飲む。泡盛はうまい。「ちゅらさん」のサントラCDを聴くこともある。