アサヒ芸能は朝日新聞社が発行

エンゼルパイをつまみに「菊之露」を飲みながら「ちゅらさん」を見る。一日が終わる。



尿管結石が外に出るときは痛い。形状は必ずしもまるくはない。


九広鉄路の切符を日本の旅行社経由で中国の旅行社に頼むと約5千円取られると聞いた。


アサヒ芸能朝日新聞社が発行していると22歳まで思っていた。


高校の男子運動部に女子マネージャーという存在が普通にある。これに相当する存在が女子運動部に存在するのか?仮にいるとして、男子が従事している例があるのか。男子がいるとして、それは例外的ではないといえるのか?例外的だとした場合、それは問題視されなくてよいのか?そもそも、あのマネージャーなるものは何をする役なのか?これに性別役割論が頑迷に投影されているのではないのか?


女子の天皇の是非がささやかれているようであるが、女子でも可として、かつ、女の子が生まれたにも、かかわらず、その後、男の子が生まれたらどうするのだろうか?何もそこまでして、皇室制度の維持をする必要もないのではないだろうか。天皇制を何月何日をもって廃止するという決断をすることは大変なエネルギーを使うと思われ、今の日本の体制に相当の変動が起こったとき以外には現実的ではないと思われる。だからといって、無理して存続させなければ、日本国民の統合は不可能というわけでもないのだから、今のままの制度で、仮に男の子が生まれなかったら皇室は自然消滅ということでもいいのではないか。


フランス語会話」で、1999年カンヌ映画祭審査員グランプリを獲得したというフランス人映画監督(氏名失念)のインタビューがあったことがある。その中で、彼は、映画は事実を伝えるものではなく真実を伝えるものであり、真実を伝えることは、事実そのものを映すことによっては達成できないという趣旨の、難解な、「パリの恋人」でオードリーが惹かれた哲学者をほうふつとさせる、外国人がイメージするいかにもフランスのインテリ然とした発言を行った。それを受け、講師の大木充が井川遙に対し、「はるかちゃんも女優を目指しているのだが、どう思った?」と問うたところ、井川は、「私の立場では、もはや何をやっても素人とは思ってくれない。問題はどれだけ役を自分のものにしてはまりこむかである。」と、更に難解な回答を行った。


朝日新聞2001年5月9日付けによると、8日に高倉健九州大学の授業に飛び入り参加したとのこと。卒業生から話を聞くという「社会と学問」で東映社長が後援したあと、健さんがあらわれ、「戦争の犠牲者がいて今の日本があるということを感じ取ってほしい」などと語ったとのこと。質疑応答で、「人生で最も大事なことは何ですか」という問いに対し、健さんは「別れるのがつらい人に出会うこと」と答えたとのこと。このような答はとっさにでてくるものなのか。もしそうだとすればあまりにもかっこよすぎる。すばらしい。この記事では九州大学の学生は健さんが来ることを知らされていなかったというのだが、記事の写真では報道陣とおぼしき集団が写っている。これは高倉健主演「ホタル」の宣伝行為だったのだろうか?なお、健さんは2001年2月には福岡県警主催の麻薬撲滅のための講演会を筑豊で行っている。

筑豊線原田桂川間は、本数、接続等の関係でJR乗りつぶしの難所の一つとされている。それだけ一般乗客の利用も少ないものと考えられる。筑豊線とはいっても、篠栗線の延長と化した桂川以東とは完全に運行が切り離され、すべての列車が原田桂川間のみを走っている。ゴールデンウイークのある日の朝の原田駅発の列車の乗客数は私を除き6人、うち3人はメガネのちょっと小太り、手には時刻表、首からカメラのその筋と思われる輩であった。